英国の選択:集団免疫とは?

掲載日:2020.04.13

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界中で蔓延しており、先般、WHOはパンデミック宣言を発出したところです。当初は中国が発生の震源で医療崩壊が起こったために多くの死亡者を出しました。その後、欧米各国へとオーバーシュート(感染爆発)が移行し、アメリカにおいては中国やイタリアの感染者数を抜く事態となっています。そこで各州では外出禁止や店舗の営業停止のみならず独自に封鎖処置を講じています。一方、英国では3月13日にジョンソン首相が演説で、感染症状のある人の自主的な自宅隔離以外には社会隔離策がほとんど盛り込まれずに、英国民の多数がウイルス(SARS-CoV-2)に感染して集団免疫(herd immunity)を獲得することで流行を終息させる方針を明らかにしました。この方針は各国と全く異なる考え方のものであり、国民にウイルスを感染させて免疫を賦与するという一見乱暴な手法で感染症を制圧するということで関心が持たれました。

では集団免疫とはどういうものなのでしょうか?これはある感染症(ここではCOVID-19)に対して集団の大部分が免疫を持っている時に生じる間接的な防御作用であり、免疫を持たない人を保護する手段とされています(図参照)。多数の人が免疫を持っている集団では、感染の連鎖が遮断される可能性が高く、感染症の拡大が収まるか穏やかなものになると考えるものです。ここでいう免疫を誘導するものとしては一般にはワクチン接種です。また、当然ながらウイルスに感染することでも免疫は得られます。今回の場合はCOVID-19用のワクチンはいまだ開発途上であり、すぐに応用することはできません。そこでジョンソン首相はほとんどの人に対して弱い感染症であることから、国民が感染して集団免疫を賦与する旨の発言に繋がったものと思います。集団で免疫を持つ人の割合が一定の値に達すると、集団免疫によって感染症が徐々に集団から排除されるようになり、世界中で達成されれば感染者数は永続的にゼロまで減少する可能性があります。この状態が撲滅または根絶と呼ばれるものであり、この手法によって天然痘は1977年に撲滅されました。ただ、今回の場合は新型コロナウイルスにより約20%の方が重症化し、中には死亡する場合もあることから、十分に国民に対しての説明が必要であったものと思います。

一方、動物分野を考えてみますと家畜衛生上の最大の脅威は何といっても伝染病の蔓延ということになります。そこでわが国では家畜伝染病予防法により基本的に摘発淘汰方式による撲滅を行ってきました。また、ワクチンによる集団免疫を利用した撲滅もなされており、その例として、2011年に偶蹄類の伝染病で世界的に有名な牛疫が撲滅されています。因みに牛疫は天然痘と並んで地球規模で撲滅が達成された伝染病になります。また、最近のCOVID-19の流行でメディアに取り上げられることもほとんどなくなったCSF(豚熱,旧豚コレラ)も、日本で開発された非常に有効性と安全性の高い生ワクチンを徹底的に豚に接種することと、摘発淘汰方式により2007年にOIEの規約に基づき日本は豚熱清浄国になったのです。しかし、残念なことに2018年9月に豚熱汚染国の観光客が日本に持ち込んだ加熱不十分の豚生肉食品が原因と考えられる岐阜市の養豚場で発生が確認されました。これ以後全国的な発生をみることになり、再度生ワクチンの接種と摘発淘汰方式での防疫が行われています。さらに世界各地での発生がいまだ報告されているイヌの狂犬病についても、日本では法律でイヌに対して不活化ワクチンの接種が義務化されることにより1957年に撲滅され、日本は世界的にも稀有な狂犬病の清浄国となっています。このような獣医衛生でのワクチンによる伝染病の撲滅に関する集団免疫の理論背景を簡単に説明したいと思います。まず前提として伝染病が集団内の動物に広がるためには、伝播係数(1頭の感染した動物が病原体を伝播できる期間に何頭の動物に感染を広げることができるかを示す係数)が1を上回る必要があります。数字が大きいほど短期間に、そして広範囲に伝染病を蔓延させ、家畜では多大な経済的な影響を与えるのです。ここで集団内の動物の免疫が70~75%になると伝染病が流行しないとされています。このことをシャルル・ニコルの法則と呼んでおり、獣医学生なら必ず覚えなければならない専門用語となっています。したがって、ワクチンによって伝播係数を1以下にすることが撲滅に繋がるのです。

ジョンソン首相が述べた集団免疫によりCOVID-19を終息させるという考え方そのものは問題があるとは思えません。しかし、現時点で免疫を賦与する方法が感染であることを考えれば、当初のジョンソン首相の演説が社会隔離策をほとんど打ち出さずに、集団免疫により流行を終息させるという方針には無理があったと思われます。事実、この演説に対して各種メディアが反発記事を書き、全英各地のスーパーマーケットで食料品を買いあさる人が殺到しパニックに陥りました。そこで演説の3日後より結局は包括的な社会隔離対策を開始することになりました。現在、各国でCOVID-19に対するワクチン開発が加速的に進められており、来年度にも実用化されるような報道も見受けられます。したがって、社会隔離対策と感染による集団免疫が徐々に進むことにより感染のピークをずらすことになり医療崩壊を回避する中で、ワクチンの使用が開始され集団のほとんどが免疫状態になった時にCOVID-19が終息するものと思われます。なお、ご承知のように、その後、ジョンソン首相がCOVID-19に罹患し、一時は集中治療室に運ばれ重症化しました。現在は退院して自宅療養中と報道されていますが、何と皮肉な話だと思います。多分、ジョンソン首相は二度と集団免疫の話はしないでしょう。