訃報:Dr.Suwit Pollapを偲んで

掲載日:2020.03.09

2020年3月6日の早朝、メールをチェックするとタイの友人から元タイ国農業省畜産振興局(DLD)局長で私の最も親しい友人の一人であるDr.Suwit Pollapが3月5日の朝に自宅で亡くなったとの訃報を受けました。予てから体調が悪いことは聞いていましたが、あまりに突然のことで、ただただ茫然としてしまいました。思えば私が農林水産省動物医薬品検査所に勤務していた1979年に、弱冠27歳で国際協力機構(JICA)の技術協力専門家としてタイ国家畜衛生改善計画1)の疫学専門家として派遣された南部家畜衛生センターの所長として会ったのが最初でした。その後も公私のいろいろな機会に会うことになり、かれこれ40年間以上の付き合いになります。Dr.Suwitはその後、DLD畜産部長、DLD次長、DLD局長を歴任されましたので、JICA関連のプロジェクトの繋がりで農林水産省や家畜保健衛生所、動物用ワクチンの製造所社の皆さんなどにも大変馴染みのある方だったと思われます。ここに私の思い出話をさせていただき追悼したいと思います。

Dr.Suwitは観光地で有名なパタヤの傍のラヨン出身で、名門のチュラロンコーン大学獣医学部を卒業した後にDLDに奉職されました。その後、若い時にタイと技術協力を実施していたケンタッキー大学大学院で畜産学の修士課程を修了したエリート獣医師であったのです。当時、タイの大学には大学院がなかったことから将来を嘱望された技術系国家公務員ということになります。そのようなキャリアーとは別に幼少時に脊椎カリエスを患ったようで小柄で背骨が曲がっており、動作に不自由を感じているようでした。最初に会った時の印象は大変大人しく寡黙に仕事を行っている紳士というもので、性格は極めて控えめでどちらかといえば内向的であり声も小さく英語も聞き取れないことが多々ありました。そのようなDr.Suwitが局長まで上り詰めるとは正直なところ思ってもいませんでした。ただ、ある時、私が良く知っているタイ人の研究職であった獣医師の仕事内容について聞かれたことがありました。正直にあまり評判が良くないと言ったところ、しばらくして閑職に追いやられたと聞いて、私の言葉だけではないと思いますが、非常に厳しい一面を垣間見たようで驚いたことがありました。当時、日本人専門家はリーダーとして千葉県家畜衛生研究所長を定年退職されたU先生をはじめとする4名でした。U先生は博識であるとともに温厚な技術者であり、当時は日本が援助しているのだとタイ人を見下す日本人がいる中、常に対等に話を進め、センターの誰に対しても親切であり誰からも慕われておられました。同じオフイスで仕事をしていたDr.SuwitはそんなU先生を人間的に大変尊敬していると言ったことがありました。そこが親日家であった彼の原点であったのかもしれません。

私は最も若い専門家であり、Dr.Suwitとは10歳以上も年齢が離れておりました。最初は所長と平の専門家との関係で食事のときに話をする程度でした。当時のセンター活動の一つとして南部タイの家畜伝染病の発生状況を調査するというものがあり、毎月のようにJICAが提供したマイクロバスに顕微鏡や遠心機などの機材を積み込んで各地に赴き、バファローや豚から血液や糞便を採取しておりました。採血した血液は夜にホテルで遠心分離し、血清をセンターに持ち帰るというものでした。私はブルセラ病の血清疫学調査と、大腸菌を持いた耐性菌調査を担当していました。その頃の南部タイは共産ゲリラや過激な回教徒が多く治安が非常に不安定であるとともに、第二次世界大戦のマレー戦線で日本軍が上陸し多くのタイ人が犠牲となったソンクラ海岸が近いせいか、反日思想のお年寄りも多かったように感じています。そんなこともあり、野外調査にはDr.Suwitもできる限り参加していたようです。出張は大体3から4日間をかけて南部タイの各県を訪問するのですが、我々日本人専門家はJICAの出張旅費でしたので、各地の高級ホテルに泊まり、タイ人スタッフは現地の安宿に泊まるのが常でした。当時は獣医師でも日本人と給与に歴然たる格差がありました。タイのホテルは今でもそうですがシングルの部屋はなく、ツインが一般的でした。そこで私がDr.Suwitと一緒の時はいつも私の部屋にベッドが一つ空いているので同宿することを誘っておりました。最初は遠慮していたのですが、いつのころから一緒に泊まるようになりました。野外から戻ると汗を流すためにシャワーを浴びるのですが、いつも年長者であるDr.Suwitに先に使って貰っていました。そのことが印象深かったようで、後年、何かあると部下にその話をしておりました。丁度、1年間ほど一緒に仕事をしていたのですが、私は任期が終了し日本へ帰ることになりました。その後、Dr.SuwitもバンコクのDLD勤務となり会うことはありませんでした。

2004年に私は農林水産省を早期に退職し、母校である酪農学園大学獣医公衆衛生学教室の教授として赴任しました。大学では研究費がありませんでしたことから、早速科研費の申請を行うことにしました。農林水産省時代はJICAの仕事でタイやインドネシアで技術協力をしたことがあり、多くの獣医師を知っているため海外調査で申請しました。首尾よく採択となり、タイ、インドネシア、ベトナムに調査に出かけました。丁度その時、Dr.SuwitがDLD局長であったことから、調査について最大限の協力をしていただきました。タイでは日本の大学教員が野外で自由に採材することは困難であるため、事前に現地のDLD関連施設に協力を依頼する必要があるのです。滞在期間中に彼は高級ホテルの中華レストランにプロジェクトのカウンターパートであった多くの獣医師やチュラロンコーン大学の教授などを招待して、われわれの歓迎会を開いてくれ学生を含めて親交を深めることができました。また通関に当たっては多くの機材があるため、Dr.Suwitの指示で動物検疫所の検疫官が張り付いてくれ、非常にスムーズに所定の手続きが終了しました。さらに帰国時には局長としての公務が多忙であったのですが、公用車で空港まで送ってくれ、まさに至れり尽くせりの出張でした。その後、2015年にも科研費の海外調査で再度タイを訪問した時も、すでに退職されてプミポン国王が設立したプロジェクトのリーダーでしたが、DLDの現局長に連絡をしてくれ、スムーズに南部タイで調査が出来るように取り計らっていただきました。そのお礼に私が単独でバンコクへ行くと、昔のカウンターパートを集めて私の誕生会をしてくれ感激したことを憶えています。また、2016年に私の次女がバンコクのマンダリンオリエンタルホテルで結婚式を挙げた時も主賓として出席していただき、お祝いの言葉をいただきました。結婚式には協定校であるカセサート大学獣医学部長などタイの名士が多数参加されていたことから、ホテルの関係者からどのような関連かと聞かれる始末でした。

晩年はバンコクの閑静な住宅地に居を構え、姪に身の回りの面倒を見てもらって静かに余生を送っておりましたが、DLDのセレモニーには顔を出して昔の仲間と交流を続けていたようです。また、投資にも熱心で母校であるチュラロンコーン大学獣医学部に莫大なお金を寄付したとも聞きました。このように思い出は尽きないのですが、たった1年間一緒にJICAの仕事をしただけでしたが、お互いに国境を越えて強い信頼関係にあったと思います。彼は天涯独身を貫き家族というものを持たなかったのですが、私は兄のように慕っていましたし、彼も私に弟のように接してくれました。40年間という長い期間で交流のない期間も多かったのですが、お互いの信頼関係は終生変わることがなかったようです。

最後に日タイの家畜衛生技術協力の黎明期から成熟期まで、ある時は現場のリーダーとして、ある時はDLDの局長として深くかかわったこれまでの献身的な協力に心からお礼を申し上げ冥福を祈りたいと思います。これまでの公私にわたる親交に感謝するとともに、どうか心安らかにお眠りいただきたいと思う次第です。

合掌

動物薬教育研究センター 田村 豊

1)タイ国家畜衛生改善計画 南部家畜衛生センター 総合報告書 昭和59年7月
https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/10507234.pdf

2015年にDr.Suwitの自宅にて

タイの仲間を集めた私の誕生会にて