わたしの嫌気性培養法の変遷

掲載日:2019.10.15

私は1974年4月に大学を卒業して農林水産省動物医薬品検査所(動薬検)に勤務することになりました。当時の動薬検はS部長の強い意向により全所的に研究するのが当たり前という雰囲気で、新人の私も何か研究テーマを見つけなければならない状況でした。大学時代は全く微生物学とは無縁の環境でしたので、特段の技術もなく研究したいテーマも見つかりませんでした。最初に所属したのは、検査第一部無菌検査室で各種製剤の無菌検査が主な業務でしたが、牛用の細菌ワクチンの安全性試験と力価試験も担当していました。そこで私が担当となったのが「気腫疽ワクチン」でした。当時の気腫疽ワクチンは気腫疽菌沖縄株を肝々ブイヨンで液体培養した培養液に不活化剤であるホルマリンを加えただけの製剤でした。当時から様々な牛のクロストリジウム属菌感染症は野外で発生しており、混合ワクチンの開発が求められていました。そこで気腫疽菌の感染防御抗原を明らかにして、混合ワクチンの開発に役立てようと研究テーマを設定しました。特に私が注目したのは菌体表層に密集する鞭毛でした。

気腫疽菌(Clostridium chauvoei)は偏性嫌気性菌であり、クロストリジウム属菌の中でも破傷風菌に匹敵して高い嫌気度が培養に必要でした。研究するに当たってまず考えるのは、どうやって気腫疽菌を簡単に培養するのかということでした。液体培養ではDifco社のクックドミート培地で良く増殖し、菌株の保存にも最適であることは周知の事でした。ただ、大量培養するのはコストがかかりすぎるのが欠点で、ワクチンの製造にも使用される肝々ブイヨンを用いることにしました。原法は馬の肝臓を使用するのですが入手が困難であることから、成牛の肝臓1個すべてを使って製造するのが常でした。肝臓を5cm角に切断してエキスを煮出すのですが、強烈な臭いで閉口し、以後の最も嫌いな食材が肝臓になりました。その後、試薬を入れてから試験管や三角コルベンに分注し、煮出し終わった肝臓を5mm角に細切して、酸化還元電位を下げ嫌気性菌の発育を促進するために培地に入れて滅菌するのです。この作業はとても実験室ではできませんので、動薬検のサプライセンターで行いました。包丁の扱いに不慣れであった新人の私にセンターの職員は良く協力してくれました。

次に、保存株の病原性を調べるためにクローニングをする必要が生じ、また菌数計算するために平板培養をしなければならなくなりました。当時、無菌検査室には嫌気性菌培養用のガス噴射法1)の機器一式があり、これを使うことにしました。これは当時の家畜衛生試験場(現農研機構家畜衛生研究部門)のA先生が普及に尽力し、日本の会社が製造販売していたもので、全国の家畜保健衛生所のほとんどが保有していました。高い嫌気度を要求する細菌の培養が可能で、病畜から嫌気性菌の分離と共に、ルーメンや土壌からも嫌気性菌の分離に利用されていました。そもそもHungate(1950年)2)が考案したもので、A先生が留学先から日本に導入したものでした。寒天培地を入れた試験管にノズルを入れて、炭酸ガスに微量に混入する酸素を焼却炉で焼却し高純度の炭酸ガスを吹き込むというものでした。この専用培地も組成が複雑で、とても一人で準備から細菌の分離作業をすることができない方法でした。A先生が引退してから何時しか家畜衛生分野での使命が終えたようでした。ただ、今考えても高い嫌気度を要求する細菌の分離や保存には有用な方法であったと思います。

そこでガス噴射法に代わる培養法を検討する必要に駆られました。培地は肝々ブイヨンに寒天を加えれば良いのですが、どうやって嫌気環境を作るかが課題でした。検査室に圧力計がついた嫌気ジャーがあったので、最初に取り組んだのがスチールウール法でした。培地を入れたシャーレを置いた嫌気ジャーに酸性硫酸銅液に浸したスチールウール(金たわし)を入れ、真空ポンプで陰圧にするのです。スチールウールの表面は還元銅の被膜で覆われており、残存酸素と反応して酸化鉄に成る反応を利用して嫌気環境を作るのです。しかし、嫌気度が高まるまで時間がかかるせいかコロニーの形成はうまくいきませんでした。そこで次に取り組んだのが触媒法でした。これはパラジウム触媒が販売されていたので、加熱した触媒を嫌気ジャーに入れて陰圧にして水素ガスを置換します。触媒の働きでジャー内部の残存酸素と水素が反応して水が作られ、嫌気環境が作られるというものです。その後、BBLが簡易にガスを製造する発生袋を使ったガスパックシステムを販売したため、瞬く間に日本中に普及しそれに切り替えました。この方法は非常に便利で直ぐに嫌気培養ができるため、随分と重宝しました。ただ、ジャーの蓋を空けるたびに嫌気環境を再度作る必要があり、お金がかかることが欠点でした。

そんな時にH製作所から嫌気性グローブボックス法であるステンレス製の嫌気培養装置が販売されたのです。いち早く新発売されるとの情報を得ていた私は、上司とも相談して了解を得て第一号機を購入することになったのです。備品費も不自由な動薬検で私一人しか使わない機器に良くもお金を出してくれたものと今でも感謝しているところです。この機器はグローブボックス内に定期的に窒素と水素と炭酸ガスの混合ガスを注入し、中に設置する触媒で酸素を除去するものです。グローブボックス内は常に嫌気状態にあるため、嫌気下での菌分離操作が可能である他、培地の保存にも利用でき、気腫疽菌の研究が一段と進めることができました。また、後輩もこの機器を利用して嫌気性菌の研究を大いにすすめてくれました。

以上、私の嫌気性培養法の変遷を紹介しました。当時は大変な作業で嫌気環境を作って気腫疽菌の研究を進めたと考えていました。しかし、今思えば1889年に北里柴三郎先生がドイツ留学中に何の器材もない状況の下で、亜鉛と硫酸を用いたキップの装置で水素ガスを作成して破傷風菌と気腫疽菌の純培養3)をしたことに比べれば大したことのない話です。また、北里先生はキップの装置で最初に作成される水素に微量の酸素が混入するため、3回の爆発事故を起こしたことも論文に記載しています。そこで最初に作成される水素ガスを水をいれた試験管に通し、ガスが充満した後に火を近づけて爆発しないことを確認した後に培養に使用したことも記載しています。このような困難を克服する中で世紀の大発見である破傷風菌と気腫疽菌の純培養に成功したのです。研究は古今東西に何事も簡単にいかないようで、その壁を突破する忍耐力とアイディアを持った研究者に天使は微笑むようです。

1)ガス噴射法による嫌気性菌の培養

http://www.sanshinkogyo.co.jp/images/pdt_anaerobic_ag2/ag2setumei01.pdf#search

2)Hungate, R. E. The anaerobic mesophilic ellulolytic bacteria. Bacteriol. Rev., 14: 1-63 , 1950.

3)中瀬安清:世界の細菌学者 北里柴三郎先生の細菌学.日本細菌学雑誌 58:631-643, 2003.