北里柴三郎先生と気腫疽菌研究

掲載日:2019.10.07

北里柴三郎先生は、ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど感染症研究の発展に貢献した偉人の一人で「日本の細菌学の父」と呼ばれました。私たちの関連でいえば動物用ワクチンを製造していた北里研究所の創立者であり、獣医学部を擁する北里大学の学祖ということになります。この北里先生と気腫疽菌(Clostridium chauvoei)研究の関連については、ほとんど知られておらず、日本の獣医系大学の獣医細菌学でもまず教えられていません。今般、北里研究所北里柴三郎記念室から刊行された「北里柴三郎学術論文集」(北里大学名誉教授 檀原宏文監修)1)を恵与されたことから、改めて先生の気腫疽菌研究について紹介したいと思います。

先生は1883年に東京医学校(現東京大学医学部)を卒業し医学士となられました。その後、内務省衛生局に奉職し、1885年にドイツのベルリン大学へ留学して、ルイ・パスツールとともに近代細菌学の開祖といわれるロベルト・コッホに師事することになります。1889年に世界で初めて破傷風菌(Clostridium tetani)の純粋培養法に成功し、1890年には破傷風抗毒素を発見して世界の医学会を驚嘆させました。さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を産生させる画期的な手法を開発することになります。また、1890年には血清療法をジフテリアに応用し、同僚であったベーリングと連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表しました。第1回ノーベル生理学・医学賞の候補に先生の名前が挙がったのですが、結局は抗毒素という研究内容を主導していた先生でなく、共同研究者のベーリングのみが受賞したのでした。今でも同じ日本人としてこの決定に納得がいかないのですが、この経緯はいろいろな書籍で書かれているので、そちらに譲りたいと思います。

次に気腫疽菌について紹介したいと思います。気腫疽菌は筋肉の出血やガス壊疽を主徴とする反芻動物の急性致死性感染症である気腫疽の原因菌です。本菌は世界中の土壌に分布し、温暖な地方に汚染地帯を形成します。一般的に散発的な発生が多く、栄養が十分な若齢牛が罹りやすいと言われています。現在、極めて有効なワクチンが実用化されており、ワクチン接種の普及に伴い発生数は激減して年間10頭以下で推移しています。従来は法定伝染病でしたが、現在は届出伝染病に指定されています。

では何故に北里先生は気腫疽菌の研究を実施したのでしょうか?北里先生は医師でありますので、医療で問題となる感染症をテーマに診断法や予防法を研究したかったと思われるのです。私も以前から北里先生が破傷風菌とともに気腫疽菌の研究をしていたことを知っていましたが、その理由は明らかでありませんでした。破傷風菌は絶対嫌気性菌であり厳密な嫌気条件下でしか培養できません。当時の水素ガスを使う培養技術や安全キャビネットもない施設では不慮の爆発により実験室内感染を起こすことも想定されました。破傷風に罹ると産生する毒素(テタヌストキシン)により、重症の場合は全身の強直性痙攣を引き起こし、舌を噛んで出血したり、背骨を骨折することもあります。破傷風の死亡率は約50%と言われています。先生は培養法も病原性も確立していない破傷風菌を分離することに躊躇したものと考えられます。そこで培養するにあたって破傷風菌と同じような嫌気度を要求し、そしてヒトに感染しない類似菌種として気腫疽菌をモデルとして分離方法を検討することを思い浮かんだものと推察します。まさに今で言うバイオセーフテイの考えに基づいた対応であったのです。なお、最近日本で気腫疽菌による人体感染例が1例のみ報告されています。

破傷風菌の純粋培養に成功した同じ年に気腫疽菌の培養法に関するドイツ語論文を公表しています2)。この論文が気腫疽菌の世界で初めての純粋培養の報告になるのです。医療分野では破傷風菌を始め赤痢菌や腸炎ビブリオなどの分離に日本人研究者が果たした役割の大きさが示されていますが、動物分野では気腫疽菌の報告が最初で唯一であると思われます。論文内容をみて驚くのは今でも通じる気腫疽菌に関する多くの知見が得られていることです。まず、先生は気腫疽菌が動物体内で増殖するので、感受性のある動物の肉で作成したブイヨン中で増殖すると考え、モルモットの肉でブイヨンを作成しました。このブイヨンの中に気腫疽に罹患した動物の血漿を一白金耳接種して混合し(原液)、この原液一白金耳を新たなブイヨンに接種しました(第一希釈液)。さらにもう一度同じことを繰り返し(第二希釈液)、それぞれのブイヨンをリボリウス導管(図1)の中に入れ、横の管からキップの装置(図2)で作成した水素ガスを入れて開口部を熱溶封し、35~38℃のフラン器で24~40時間培養したところ増殖が認められたのです。この培養液を0.2~1.0mlをモルモットの皮下に接種すると30~48時間後に気腫疽で死亡しました。気腫疽菌の培養液は2週間以上放置するか、80℃で30~40分間加熱すると毒力がなくなっていました。また、毒力が無くなった培養液をモルモットに接種すると、モルモットは気腫疽に免疫になり、このモルモットから生まれた子も気腫疽に対して免疫になることを示しました。

気腫疽菌を研究していた身として、この論文を熟読すると多くの示唆に富んだ点が見えてきます。まずは気腫疽菌に感受性のある動物のブイヨンなら増殖すると考えたこととか、また寒天平板での増殖ができないときに、限外希釈法によりクローニングを試みるなどです。また、現在にも通じる知見として、気腫疽菌と類似した性状を示し、気腫疽の病変部からも分離される悪性水腫菌(Clostridium septicum)との重要な鑑別点として生体内での形態の違いを示しています。つまり、気腫疽菌は単在か短い連鎖なのに対し、悪性水腫菌は長い連鎖(フィラメント)を形成することです。この知見は今なお気腫疽の診断に使われています。菌形も大部分は棍棒状の桿菌であり、中央または末端に膨らみ(芽胞)があることも示しています。さらに驚くことは、現在の気腫疽ワクチンの基となる知見を提供したことでしょう。気腫疽ワクチンの最初は、1887年にアーロイングらが感染組織の抽出液を乾燥し高熱で減毒したものと言われています。それが同じ年に現在も使用される培養液を用いたワクチンを報告したのです。まだ実用化されていませんが、免疫を持ったモルモットから生まれ子供にも免疫が誘導される母子免疫が成り立つことも示しました。加えてキップの装置での爆発を防ぐために、空気を取り除くために最初に装置に繋がずに、水を満たした試験管を逆さにして中に通して、試験管が一杯に成ったら火を近づけて爆発しないことを確認してからリボリウス導管に接続するという実験を行う上での注意事項まで記載しているのです。自ら3回の爆発事故を経験したことから追加して記載したものと思われます。

北里先生は翌年の1890年に先の報告の補遺の論文を報告しています3)。ここでは扁平ガラス容器(亀の甲シャーレ)(図3)を用いた気腫疽菌の固形培地中での純粋培養法を述べています。気腫疽で死んだモルモットの血漿を、中性の寒天培地の入っている亀の甲シャーレにとり混合して水素ガスを通しました。シャーレのガス取り込み口を熱溶封して培養したところ、表面が不規則で暗い中心部は光の輪で囲まれたコロニーが出現しました。平板培養が可能となったことから、気腫疽菌のさまざまな性状が明らかにされました。例えば菌体は末端が丸い桿菌であることや、芽胞は卵形で芽胞を持つ菌は紡錘形に見えることなどです。この固形培地上で細菌を分離する手法は師であるコッホ先生の影響が大きいとされています。つまり、パスツールが液体培地に拘り、固形培地を使わなかったことと考えを異にしています。この研究手法の差が新規の病原体の発見の多くがコッホ門下で行われた理由とも言われています。

以上、北里先生による二つの気腫疽菌に関する論文を紹介しました。記載した通り卓越した技術により世界で最初に気腫疽菌の純粋培養に成功し、さまざまな性状に関する知見を提供していただいたと思います。さらに現行の気腫疽ワクチンの原型ともいえる知見を提示しています。私もかれこれ20年間ばかり気腫疽菌の研究に携わっていましたが、この二つの論文を越えるような内容であったかと忸怩たる思いがいたします。最近、気腫疽菌に機能が明らかでないプラスミドの存在が報告されています。北里先生が示したように、培養液を長期間放置すると毒力が無くなるとの記述から、病原性プラスミドの存在をも示唆され北里先生を越える今後の研究の進展に期待したいと思います。

図1.リボリウス導管1)

図2.北里柴三郎先生とキップの装置

https://www.kitasato.ac.jp/jp/kinen-shitsu/about/collections.html

図3.亀の甲シャーレ

https://www.rikasuki.jp/memorial/hiwa/Japanese/inspired/report5.html

 

1)檀原宏文監修:北里柴三郎学術論文集,学校法人北里研究所 2018年11月24日

2)Kitasato S: Ueber den Raushbrandbacillus und sein Culturverfahren. Z. Hyg., 6:105-116, 1889.

3)Kitasato S: Ueber das Wachsthum des Rauschbrandbacillus in festen

Nӓhrsubtraten. Nachtrag zu der Abhandlung: Ueber den Raushbrandbacillus und sein Culturverfahren. Z. Hyg., 8:55-61, 1890.