ガチャンコ物語

掲載日:2019.07.08

薬剤耐性の研究を実施するときに、必須の実験として薬剤感受性試験があります(一般向け情報,2017年11月21日参照)。その中でもゴールドスタンダードといわれる寒天平板希釈法による細菌の最小発育阻止濃度(MIC)の測定が最も重要なデータになります。私の研究室に入室する学生が最初に習得するのもMICの測定法で、耐性菌研究の基本中の基本の技術になります。通常は100株以上の細菌を対象にMICを求めるのですが、使用する菌株数や抗菌薬が多くなればなるほど、使用する寒天平板培地数が増え、1株で5種類の抗菌薬の10濃度に対するMICを求めるだけで、50回も供試菌を接種することになり100株では500回も接種することになります。これでは非常に作業量が多くなり効率的な試験とはいえません。そこで27株を同時に接種する接種器(ミクロプランター)が開発(現在は96株も可能)され使用されています。しかし、自動接種する装置を含めれば50万円ほどの価格でしたので、誰でも直ぐに買えるような備品ではありませんでした。

獣医学領域で本格的に耐性菌研究を開始したのは、R因子(現在のRプラスミド)の発見者であった群馬大学の三橋進教授の下での国内留学を終えた動物医薬品検査所(動薬検)の寺門誠致先生でした。寺門先生は動薬検を舞台に家畜由来病原菌からのR因子の発見など精力的に研究を続けていました。当時、検査第Ⅱ部薬剤作用検査室には、寺門先生の研究を全面的に支えていた技術系職員のK氏がいました。K氏は手先が器用で寡黙に仕事をてきぱきとこなす非常に有能な方で、寺門先生の素晴らしい研究業績もK氏に負うところが大きかったと思われます。

1976年に家畜由来耐性菌の初めての全国調査が農林水産省により企画されました。この耐性菌調査は全国の家畜保健衛生所(家保)で実施するため、事前に検査法の統一を図り、耐性菌に関する最新情報を提供するために、動薬検で技術研修会が開催されました。これまで家保における薬剤感受性試験といえば薬剤感受性ディスクを用いた定性的な方法であったものを、寒天平板希釈法による定量的な方法に変更するものでした。そこで問題となったのが大量の培地の作成や分離菌株を抗菌薬が含まれる寒天平板培地に接種する膨大な作業量でした。通常の家保の業務を実施しながらの作業であり、相当に難儀するものと想像されました。その時、K氏は細菌用培地のプラスチック製保存容器の蓋に27本の注射針を工作用石膏で固定し、注射針に細菌接種用のニクロム線を通した簡易型ミクロプランターを作成し、全国の家保に配布したのでした。非常に軽く持ち運びが容易でしたことから誰もが直ぐに活用する有用な道具となりました。この装置に寺門先生は、接種する時の音から「ガチャンコ」と名付けたのでした。

この研修会では、当時、薬剤耐性遺伝子の拡散に重要とされ、海外の著名論文では必ずといっても良いほどに実施されていたR因子の接合伝達試験も実習に組み込まれていました。これは薬剤耐性を担うR因子の細菌から細菌への伝達性を明らかにするものでした。実習以外でも接合伝達試験法の原理のみならずR因子の意義や実際のデータを分かりやすく講義しました。また、研修会の終了後には、各家保の職員にガチャンコを含む寒天平板希釈法の道具一式と抗菌薬、精度管理株、それに接合伝達試験で用いるR因子の受容菌が配布されたのでした。

この研修会以後に、畜産現場にある全国の家保においてもMIC測定や接合伝達試験が日常の試験として実施できるようになったものと思います。事実、家保の業績発表会や獣医師会獣医学術学会や獣医学会で家畜由来耐性菌の疫学調査が、全国の家保で実施されるようになったのです。これも寺門先生の性格に寄るところが大きいようで、自分自身が得た知識や技術を惜しげもなく誰に対しても広く普及し、試験に使用する菌株や試薬を気楽に提供していた結果だと思っています。現在では家保でも市販のミクロプランターを使用していると思いますが、実験室の片隅にひっそりと置かれている「ガチャンコ」の歴史を振り返っていただければ幸いです。

 

寺門先生の後任である故中村政幸先生がインドネシアで技術指導。
中村先生の前にあるのが「ガチャンコ」です。