耐性菌研究の夜明け-Rプラスミドの発見秘話-

掲載日:2019.05.27

これまでコラムでも取り上げられている薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン(2016-2020)ですが、目標6として国際的視野で他分野と協働し、薬剤耐性対策を推進することになっています。つまり、日本がAMR対策に関して世界のリーダーシップをとることを述べているのです。では耐性菌の研究分野ではどうでしょうか?当然のことながら、耐性菌問題は地球規模での人類に対する脅威ですので、各国が有効な対策を策定するため、精力的に耐性菌に関する基礎や応用研究を推進しているところです。そこで今回は、耐性菌研究で非常に大きなインパクトを与え世界をリードした日本の研究者の業績を振り返ってみたいと思います。

戦前から戦後にかけて猛威を振るっていた伝染病に細菌性赤痢(赤痢)があります。赤痢とは腸内細菌科に属する赤痢菌に感染することで引き起こされる腸管の感染症のことです。主に大腸の粘膜に炎症を起こし、ときに潰瘍をつくって、発熱、下痢、腹痛などの症状を引き起こします。しばしば血液を含む下痢便を排出することから赤痢と名付けられました。戦後赤痢の患者数は10万人を超えていましたが、衛生水準の改善とともに患者数は激減しています。近年の赤痢患者の多くは、アジア地区を訪問した旅行者であり海外で感染し日本で発症したものです。余談ですが赤痢の原因菌である赤痢菌は、1898年に伝染病研究所の志賀潔先生によって発見され、その名前にちなんでShigella属と名付けられており、4菌種が含まれています。病原細菌の学名に日本人研究者の名前が付けられた唯一の例とされ、細菌学において最も重要な業績の一つとされています。この赤痢患者に対してさまざまな抗菌薬が使用され、当初は有効であったものの直ぐに赤痢菌は耐性を示し、新たな抗菌薬が使われては耐性になるという状態が続き多剤耐性菌も出現するようになりました。1957年にはこれまで使われていた4剤の抗菌薬に耐性を示す多剤耐性赤痢菌が全国に広まるようになりました。この多剤耐性菌は、疫学的に同一の菌が全国に広まったのではなく、多種類の菌が同時に多剤耐性化したようでした。

当時、細菌が耐性化する理由として染色体の突然変異が知られていました。しかし、突然変異は細菌の107~108個に1個くらいの頻度ですので、短期間で4剤耐性になるには不可能に近い発生頻度となります。また、突然変異菌の出現で急速に全国から多剤耐性菌が分離されたことを説明することは困難でした。当時の細菌学の常識では理解されない多剤耐性出現機構について光明を与えたのは、東西の二つの研究グループでした。1959年11月13日に東京で開催された日本細菌学会関東支部総会で発表した東大の秋庭朝一郎先生が率いるグループと、14日に神戸で開催された日本化学療法学会近畿支部総会で発表した名古屋東市民病院の落合国太郎先生が率いるグループでした。奇しくも内容がほぼ同じ赤痢菌と大腸菌の混合培養によって多剤耐性が一気に伝達するという現象でした。それら二つの成果は、翌年に「日本医事新報」に掲載されることになりました。秋庭先生は基礎細菌学の立場から、落合先生は臨床細菌学の立場から実験を進め、同時期に同じ結論に達したことは日本の細菌学の水準がいかに高いかを示すとともに、耐性菌研究のマイルストーンとなる重要な発見でした。でも今考えてみても日本の二つの研究グループが同じ研究を同じ時期に実施し、同じ結論に達して発表したことは驚きですね。この二つの発表は広く注目されることに成り、新聞でも赤痢菌の耐性機構に新説が出たことを大きく報道しました。

この現象の発見直後から新たな耐性機構を明らかにすべく東大、群馬大、予研(現在の国立感染症研究所)、慶応大の間で激しい科学的な先陣争いが起きました。日本を代表する細菌学の研究機関が挙って同じテーマで研究を展開したことから、成果の発表の場である日本細菌学会がかってない程に議論が白熱し熱気を帯びた学会になったことが今も語り草になっています。その中にあって三橋進先生率いる群馬大のグループは、耐性伝達はあとで説明する菌と菌との接合現象で起きること、耐性は腸内細菌科の他の細菌にも伝達すること、伝達する耐性型は4剤型のみならず、3剤型、2剤型、1剤型であることなどを明らかにしました。また、重要な知見で薬剤耐性因子が染色体上に無いことも明らかにしました。そこで三橋進先生は、染色体上になく伝達性のある薬剤耐性因子を耐性(resistance)の頭文字をとってR因子と名付けました。後述の薬剤耐性(R)プラスミドの存在が明らかになるまで、学会や論文ではR因子が広く使われました。

ここで耐性遺伝子の伝達で重要な現象である接合について説明したいと思います。接合とはさまざまな細菌間で接触を生じてお互いの遺伝子の一部をやり取りする現象をいいます(図参照)。接合で伝達されるのは、染色体外のDNA分子でプラスミドと呼ばれるものです。プラスミド上に耐性遺伝子を持つものをRプラスミドと呼びます。Rプラスミド上に耐性遺伝子が複数ある場合は、接合によって多剤耐性が一度に伝達されるのです。ここで赤痢菌が短期間に多剤耐性になった機構が明らかにされ、多剤耐性菌が急速に全国から分離されたことの理由が明らかにされたことになります。なお、Rプラスミドを保有する細菌をオス菌と呼び、持たないものをメス菌と呼んでいます。細菌にも動物と同じようにオスとメスがいるのです。Rプラスミドを受け取った菌はメスからオスに代わり、メスを求めて接合を繰り返し、薬剤耐性に係る遺伝情報を細菌間に広めていくのです。この接合現象は同種の細菌間ばかりでなく異種の細菌間でも起こることから、急速に耐性菌が拡散する理由の一つになります。ここまで見てくると細菌の接合現象も、他の生き物の営みと基本的に変わらず、オスは永遠にメスを追いかけているようで興味深いものがあります。大腸菌のような腸内細菌科細菌では、菌体表面にある線毛と呼ばれる構造物を介して細菌が接触し接合することが知れられています。

Rプラスミドの研究が盛んに行われていた1969年に北海道大学獣医学部から寺門誠致先生が農林水産省動物医薬品検査所(動薬検)に出向されました。先生は獣医公衆衛生学講座でサルモネラ属菌の研究を実施していたことから、当時、華々しい研究が行われていたR因子に興味を持たれていたようです。そこで豚の委縮性鼻炎といって細菌感染により鼻の骨が溶解して曲がる感染症の原因菌であるBordetella bronchisepticaが3剤耐性を示すこと見出しました。この研究を更に進めるために、寺門先生は当時として異例の対応で群馬大の三橋進先生の研究室に国内留学することになったのです。動物用抗生物質の大家であった動薬検の二宮幾代冶所長が、この研究の重要性を認識され当時としては考えられない国内留学を許可したのだと思います。寺門先生は留学中にこの菌の3剤耐性もRプラスミドの支配を受けることを証明しました。当時、耐性遺伝子の接合伝達が腸内細菌科細菌だけの現象と考えられていたことを、呼吸器感染症の病原菌にも起こることを明らかにし、さまざまな細菌における普遍的な現象であることを示しました。寺門先生は留学終了後に動薬検を舞台に家畜由来耐性菌に関して華々しい成果をあげ、その手法を広く家畜保健衛生所の獣医師に技術移転することにも熱心に取り組みました。その結果、これまでは獣医学領域の耐性菌研究といえば薬剤感受性試験成績を単に述べるにとどまったものが、急速にRプラスミドを検出する手法が広まり、多くの獣医師がこの分野に参入するようになりました。

以上のように赤痢菌の多剤耐性化に始まった耐性機構の研究は、様々なドラマを含んで発展を遂げてきました。当初は世界の研究者から疑心暗鬼に見られていたようですが、何時しかこの発見の重要性が認識されるようになりました。それは現在でも色あせることがなく、新たな耐性遺伝子が検出された時や疫学的に耐性菌の性状を調べる時等、プラスミド性か否かは重要な情報となっているのです。なお、これまで述べたことの詳しい経緯を知りたい方は以下の書籍が参考になります。

 

橋本 一:薬はなぜ効かなくなるのか 病原菌は進化する,中公新書 1528 (2000年)

吉川昌之介:細菌の逆襲 ヒトと細菌の生存競争,中公新書 1234 (1995年)

 

. 細菌の接合による耐性遺伝子の伝達