ノルウェー人女性が狂犬病で死亡! -日本での輸入感染症例を振り返る-

掲載日:2019.05.20

5月11日の時事通信ニュースで「ノルウェー人女性が狂犬病で死亡、旅先のフィリピンで助けた子犬に咬まれる」との報道がなされました。このコラムでも以前に取り上げているように、ヒトの狂犬病は狂犬病に罹患したイヌに咬まれることにより感染し、発症するとほぼ100%死亡する最も危険な人獣共通感染症です。しかし、以前は日本にも猛威を振るっていた病気であったものの、1950年に狂犬病予防法が制定され、イヌに狂犬病ワクチン接種が義務付けられたところ、1956年の6頭のイヌの発生を最後に、後述の輸入感染症例を除いて、国内での狂犬病の発生はありません。すでに63年間も狂犬病のない暮らしに生活していると、一般の方々の狂犬病についての認識が薄れていることも事実です。最近も狂犬病対策キャンペーンを一般の方々に対して行っていると、しばしば「狂犬病って、イヌの病気ではないのですか?」という質問にも遭遇し驚いてしまいます。我われ獣医師ももっともっと一般の方々に狂犬病の知識を普及し、対策について啓発する必要性を感じています。そこで今回のコラムでは、ニュース記事を紹介するとともに、2007年に日本人がフィリピンで狂犬病のイヌに咬まれて、日本で発症して亡くなった二つの事例を紹介し、皆様に注意喚起をしたいと思います。

今回の24歳の病院勤務するノルウェー人女性は、2月に友人たちと休暇でフィリピンを訪れていました。そこでオートバイを借りて観光を楽しんでいた時に、道端に一匹で元気なくうろつく子犬を発見しました。大の動物好きであった女性は、イヌを放っておくことができずに連れ帰り、体を洗ってあげて世話をすると間もなく回復し、リゾート施設の庭で子犬と一緒に遊んでいたそうです。その後、子犬は他の子犬がそうするように女性たちを咬もうとし始め、一緒に遊んでいる最中に女性の指を咬んだようです。きっと、イヌが嬉しくていたずらに咬もうとした程度に思ったものと想像します。これは本国であれば何の問題もない日常の出来事であったかもしれませんが、そこがフィリピンであったことが最悪の事態を招くことになりました。帰国後に体調を崩し狂犬病を発症したようで、自身が勤める病院で集中治療を受けましたが、5月6日の夜に亡くなったそうです。誰も狂犬病ワクチンを打っていなかったとのことでした。このように心優しい動物好きの女性が旅行中のふとした出来事で亡くなったことは、獣医師としても非常に心の痛いニュースでした。

翻ってこの機会に日本での輸入感染事例を振り返ってみましょう。2007年に同じくフィリピンで感染し、日本で亡くなった狂犬病の2つのヒトの症例が報告されています。最初の症例1)は、糖尿病を持つフィリピン滞在歴のある60歳代の男性で、主な症状は発熱ということでかかり付けの医院を受診し、感冒薬の治療を受けましたが回復しませんでした。発熱が持続するため京都の大規模病院の救急外来を受診し入院することになりました。点滴などの治療を受け一端退院しましたが、翌日に「虫がみえる」などの症状とともに脱水所見があり、再び入院することになりました。その時、「水が怖くて手が洗えない」という恐水症状や、「ちょっとした空気の流れを感じるだけでも怖い」という恐風症状を示していたようです。狂犬病は恐水症状を示すため、別名「恐水病」とも云われています。患者が特徴的な症状であったため、医師は当初から狂犬病を疑っていましたが、本人がフィリピンでのイヌとの接触を否定していたため、診断ができなかったようです。その後、興奮状態になり痙攣様の動きがあり心肺停止状態となり集中治療管理となりました。翌日、フィリピン滞在中に患者が左手をイヌに咬まれたことを家族から聴取でき狂犬病を疑いました。唾液の遺伝子検査で狂犬病ウイルスが陽性となり狂犬病が確定診断されました。さまざまな治療を行いましたが、残念ながら多臓器不全により第5病日で永眠したものです。

二例目2)は貿易業の65歳の男性で、仕事の関係でフィリピンに滞在中の2006年8月末にマニラ郊外の友人の飼いイヌに右手首を咬まれました。咬まれた前も後も狂犬病ワクチンを接種していませんでした。一時帰国した11月15日に倦怠感と右肩甲骨痛で市販の感冒薬を内服していました。11月18日より飲水が困難となり、翌日、救急外来を受診しました。当初、感冒と診断され、解熱・鎮痛薬の処方を受けました。11月20日に発熱、呼吸苦が出現し、再度受診しました。興奮状態にあり、海外でのイヌの暴露歴もあるため狂犬病が疑われ、横浜の大規模病院に転院しました。発熱、恐水・恐風発作、すぐに興奮状態になることや、イヌの暴露歴から狂犬病を疑ったものの、他の疾患も考慮の上、治療を行いました。11月21日に唾液からの遺伝子検査で狂犬病ウイルスが陽性となり、狂犬病の確定診断となりました。治療により狂犬病から回復した症例( 2018年1月31日付、一般向け情報 https://cvdd.rakuno.ac.jp/archives/2319.html )を参考に、家族による同意取得の上、倫理委員会の承認を得て、抗ウイルス薬であるリバビリンとアマンタジンを投与しました。しかし、12月7日に多臓器不全により永眠しました。

これらの症例は全てフィリピンでイヌに咬まれたことを発端としていることから、フィリピンでの狂犬病状況を説明したいと思います。フィリピンでは年間200人~300人の狂犬病による死亡例が保健省により報告されており、狂犬病が公衆衛生上の重大な問題として捉えられている世界上位10か国のひとつとされています3)。そこで、2020年までの狂犬病排除を目標に保健省が農業省と協力して「国家狂犬病予防対策プログラム(National Rabies Prevention and Control Program:NRPCP)」を実施しています。2006-2007年当時を見てみると、狂犬病患者は全国で発生し、98%はイヌによる咬傷でした。一方、イヌの飼育頭数は800万頭であり、イヌにおける狂犬病陽性例数は、2005年で1,415頭といわれています。イヌにおける狂犬病ワクチン接種は毎年100万頭前後といわれており、ほとんどのイヌはワクチンを受けていないことになります。このような状況の中、旅行中や仕事で滞在中の日本人は半世紀も狂犬病の無い日本と同じように思っているようで、全く無警戒で現地のイヌやネコに触れている光景を狂犬病多発国で私も良く目にすることがあります。もし、咬まれても今回の事例のように狂犬病を疑って病院を受診することもなく、発症してからの受診となり悲惨な結末になるのです。私自身も40年前にタイ国南部に仕事で長期滞在していた時に、狂犬病に罹患した患者を見たことが今も鮮明に記憶に残っています。狂犬病は確実にワクチンによって予防可能な感染症です。狂犬病汚染国に長期間滞在する場合は狂犬病ワクチンの接種を考える必要があります。ワクチンの予防接種機関についての詳しい情報は厚生労働省検疫所のホームページに記載されています。https://www.forth.go.jp/index.html
また、現地でイヌやネコから咬傷を受けた場合は、専門病院を受診するか、直ぐに帰国して大規模な病院を受診することを勧めます。狂犬病のおそれのある動物に咬まれた場合は、ウイルスが脳に到達するまでに時間がかかるため、曝露後免疫といって狂犬病ワクチンを接種することで発症を防ぐことができます。それをおいても日本や一部の国を除いてほとんどが狂犬病汚染国だと考えて、旅行などにより現地を訪問した時はイヌやネコにむやみに触れないことが重要だと思います。狂犬病に罹患したイヌやネコが必ずしも特徴的な症状を示していないことを肝に命ずるべきです。

1)IASR 28:63-64, 2007. http://idsc.nih.go.jp/iasr/28/325/dj3251.html
2)IASR 28:64-65, 2007. http://idsc.nih.go.jp/iasr/28/325/dj3252.html
3)国際協力事業団 https://www.jica.go.jp/project/philippines/014/outline/index.html