豚コレラの感染拡大とワクチン

掲載日:2019.01.07

2018年9月10日付けの本コラムで、岐阜県で豚コレラが26年ぶりに発生したことを報告しました。その後、発生農場近郊の多数の野生イノシシから豚コレラ陽性事例が続発し農家への拡散が心配されました。11月16日に発生が早く終息して欲しいとの畜産関係者の願いも空しく岐阜市畜産センター公園の飼育豚で2例目の感染が確認されました。次いで、12月5日に立て続けて岐阜県畜産研究所で3例目の豚での感染が確認されました。12月10日に関市内の飼育施設で飼育イノシシの感染が判明し、12月15日には可児市の岐阜県農業大学校で豚の感染が確認されました。また、12月22日には県境を越え愛知県で野生イノシシの感染を確認しました。12月25日には関市内の養豚場で6例目の感染を確認し、初発から随分と日にちが過ぎたのに今をもってしても感染拡大を止めることができない緊迫した状況が続いています。今後、豚コレラが終息した後に様々な検証が行われるものと思いますが、本病の診断に関する技術的な継承が不十分であったのか、危険性の認識が足らなかったのか、過去の伝染病との気のゆるみがあったのか、初動の遅れが現在の流行状況に影響している可能性があります。また、強いリーダーシップで養豚農家の防疫体制の指導をしなければならなかった岐阜県の施設から相次いで感染事例が認められたことも、今後の教訓として詳細に検証する必要があると考えます。

さて12月18日に公表された第3回拡大豚コレラ疫学調査チーム検討会の結果概要報告書をみると、分離ウイルスは、近年、中国やモンゴル等で分離されたウイルスと近縁であることを明らかにしています。また、今回の発生で分離された一連のウイルスはいずれも極めて類似しており、豚農場の発生と野生イノシシの感染は同じ感染源から伝播したものと指摘しています。これまでの状況からわが国へのウイルス侵入の可能性について、違法に持ち込まれた豚を使った非加熱食品が家庭ゴミとして廃棄されたり、行楽地などで廃棄されたりすることにより、野生イノシシが感染し、そこから豚や野生イノシシに伝播したことを述べています。事実、2018年10月1日に北京から新千歳空港に到着した旅客の携行品から収去した豚肉ソーセージにおいて、海外悪性伝染病の原因であるアフリカ豚コレラウイルスが検出されていることからも実際に起こりうるシナリオだと思われます。

ではここまで感染が拡大した今、どのような対策が考えられるのでしょうか?当然のことながら基本的には「豚コレラに関する特定家畜伝染病防疫指針」の徹底ということになります。しかし、今後さらに感染拡大が続いた場合、農林水産省は公的に発表していませんが、報道によれば野生イノシシに対する豚コレラワクチンの使用も検討されているようです。そこでもう少し詳しく豚コレラワクチンについての説明をしたいと思います。まず、現行ワクチンを紹介する前に日本における豚コレラワクチンの歴史を簡単に述べたいと思います。1928年にホルマリン不活化ワクチンが開発されますが、その効果については賛否両論があったようです。そこで1951年に連合軍司令部(GHQ)によってクリスタルバイオレット不活化ワクチンが導入されました。製造に民間製造所が加わったこともあり供給量が増大し、発生率を低下させたものの、不活化ワクチンの限界を超えるものではありませんでした。この不活化ワクチンの欠点を克服するために、精力的に家畜衛生試験場(現農研機構動物衛生部門)で生ワクチンの開発が進められました。試行錯誤の末、組織培養生ワクチンの検討が行われました。そこで問題になったのが豚コレラウイルスは細胞変性効果(CPE)を示さないということで、ウイルスと抗体の定量ができないことでした。そこで世界に誇る研究業績として知られるEND法の開発が行われました。この方法は、豚コレラウイルスが増殖した豚精巣細胞にニューカッスルウイルスを重感染させると、CPEが強く増強される現象で、生ワクチン開発に大いに貢献しました。今考えてもこの二つの宿主動物も分類上も全く異なるウイルスを組み合わせた柔軟な発想に脱帽するしかありません。強毒のALD株を豚精巣細胞に142代、牛精巣細胞に36代、モルモット腎細胞に32代継代されたもので、モルモット腎細胞で継代中にEND法による定量ができなくなった変異ウイルスが、後のワクチン株となったGPE株になります。この株は病原性の評価対象となった致死性、症状、発熱、白血球減少、ウイルス血症が全て陰性でありワクチン候補株として満足する結果でした。GPE株の安全性は、豚体内での増殖が扁桃とリンパ節に限局しており、同居感染も稀であることから確認しました。またウイルス血症を起こさないことから、胎児感染もありませんでした。有効性は、ワクチン接種後3日目から感染防御が成立し、約3年間は抗体が低下することなく持続し、ウイルス攻撃にも耐過することで確認しました。1969年にこの世界にも誇る有効で安全な豚コレラワクチンが実用化されてから、豚コレラの発生は激減することになりました。現在では動物用のワクチン開発は民間の製薬企業が主体で行われていますが、このワクチンは国の研究機関が威信をかけて当時の最高の技術と知識の粋を集めて開発した記念すべきワクチンとなりました。

その後、何回かの散発発生を越えて1992年の熊本県球磨郡の発生を最後に、今回の岐阜の発生まで豚コレラとは無縁の状況になったことに成ります。1995年8月に豚コレラ防疫技術検討会が開催され、豚コレラ清浄化対策についてはワクチンを使用しない防疫体制を確立すること、そして野外の豚コレラウイルスをわが国から撲滅させるためにワクチン接種率を高めることが決定しました。その後、豚コレラ撲滅計画は3段階に分け、第1段階はワクチン接種の徹底と抗体調査による確認、第2段階は都道府県別にワクチンを中止、清浄度の確認県をワクチン接種中止地域として指定、第3段階は全国的ワクチン接種中止と確認調査を行うことで達成することとしました。その結果、2006年4月1日以降にワクチン接種を全面中止することができました。ワクチン非接種国という前提の下、2007年に国際獣疫事務局(OIE)の規約に従い日本は、先進国と肩を並べて晴れて豚コレラ清浄国になったのでした。これも長年にわたる研究の成果であり、類まれな優良な豚コレラワクチンを手に入れた結果だと思われます。豚コレラ清浄国としてのメリットとしては、ワクチン代や接種に伴う経費などの生産コストの低減がまず上げられます。また、豚コレラ汚染国からの豚肉などの輸入を禁止するとともに、わが国から豚肉などを海外へ輸出することも可能となり、経済的には大きなメリットを受けることができるのです。

それでは今回の感染事例での野生イノシシや豚へのワクチン接種を考えてみましょう。わが国の豚コレラワクチンは極めて有効で安全なものであることは、これまで述べた通りです。しかし、ここでワクチン接種に踏み切れば豚コレラ清浄国でなくなる分けで、先に述べたように豚コレラ清浄国に復帰するため多大な時間とお金を要することになります。また、そもそも本ワクチンは注射用として開発研究されたものであり、経口投与でどれほどの有効性と安全性を示すかのデータが不足していると思います。さらに効率的に多数の野生動物へのワクチン接種が簡単にできるとは考えにくいことです。仮にワクチン接種に舵を切ったとしても、今の発生状況が果たしてワクチン接種という重い決断を下す時期にあるとは考えにくいことです。あくまでワクチン接種の実施に関しては農林水産省が判断することであり、無責任に周りから論評する立場にないのですが、いずれにしても重い決断をする時期が近づいていることは確かなようです。

農林水産省:第3回拡大豚コレラ疫学調査チーム検討会の結果概要報告書
http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/csf/attach/pdf/index-83.pdf

清水悠紀臣:日本における豚コレラの撲滅 動衛研研究報告 119:1-9,2013.