ペニシリン物語(その2)-酪農学園との関係

掲載日:2018.09.03

フレミングが偶然の出来事からペニシリンを発見し、工業生産に至る経緯をすでに「ペニシリン物語」として、このコラムで紹介しました。今回はその続きで、わが国でペニシリンが工業生産されることに、酪農学園がどうのように関与したかをご紹介したいと思います。

その前に酪農学園大学を設立するきっかけとなった雪印乳業設立までの経緯について簡単に述べたいと思います。1923年9月に関東大震災が発生し、日本経済は多大な打撃を受けました。そこで政府は物資欠乏と価格の暴騰に備えるため、乳製品輸入関税を撤廃しました。練乳や脱脂粉乳、バターが外国より大量に流入し、さらに、練乳の売り上げ不振により練乳会社の原料乳の買取拒否などにより、北海道の酪農民はまたたく間に窮地に追い込まれていくことになりました。その窮状を目の当たりにした酪農学園の創設者である黒澤酉蔵先生を中心に、バラバラだった酪農民を協同の力で自らを発展させようと、「北海道製酪販売組合」を設立しました。また、今後の酪農業の発展を担う人材育成を考え、1934年に農村中堅人材と職員養成を目的とした学校(北海道酪農義塾)を設立しました。それが現在の酪農学園大学のルーツになります。1937年、日華事変勃発以来、国をあげて戦時体制に突入し、1941年4月に「国策第一主義、公益優先」、「北方農業建設」を理念とした「(株)北海道興農公社」が設立されました。株主は、北海道農業会、農林中央金庫、北海道庁、北海道拓殖銀行、明治乳業(株)、森永乳業(株)など6社でした。北海道興農公社は、食肉加工・皮革事業の強化をはじめ、新たに農産加工・農地改良・種苗、医薬品などの関連事業を推進していくことになります。終戦を迎え国内が混乱する中、戦時体制の北海道興農公社の株式の民主化が議論になりました。そこで1947年に酪農民を中心とする3万人の株主の「北海道酪農協同(株)」(北酪社)に移行しました。これからは酪農民が落ち着いて酪農の経営合理化に精進できるという矢先に、北酪社は、1948年2月に「過度経済力集中排除法(排除法)」の指定を受けることになりました。そもそも排除法は、財閥解体を実施するための法律で、巨大独占企業を分割するための手続きを定めておりました。全くの見当違いと思われますが、乳製品を独占する企業と見られたためと考えられます。当時、北酪社は全国生乳量72万石に対し、北海道の生産量43万石を占め、バターのシェアは70%以上でした。排除法の解除を求めた活動の中、1950年に「雪印乳業(株)」と「北海道バター(株)」に分割し、医薬品、種苗、皮革、食肉事業の別会社への分離を受け入れました。医薬品事業はその後も雪印乳業で継続されていたものの、2002年に関連会社である「イーエヌ大塚製薬株式会社」に承継されたようです。

話をペニシリンに戻しましょう。ドイツからのペニシリンに関する情報(キーゼ報告)は1943年秋に日本へもたらされ、ペニシリン開発研究を促進するためペニシリン委員会(碧素委員会)が組織されました。梅澤浜夫先生の強力なリーダーシップの下、短期間でキーゼ報告に記載された精製ペニシリンの性状と合致するペニシリンが得られました。これは医、薬、農、理学等の関係者が一致団結して、知識の交流や新研究へのディスカッションにより、難関を突破した成果と言えそうです。基礎試験が終わったことから、次に大量生産研究に移行しました。冗談のような話ですが、ある国のペニシリン工場が牛乳工場に似ていたということで、森永乳業(株)三島工場で試作品が製造され、1ヶ月でペニシリン精製液を作ることに成功しました。1946年に製造会社の協調連絡を図ることを目的に、社団法人日本ペニシリン協会が設立されました。設立当初の会員である39社に、実は萬有製薬や明治乳業とともに先に紹介した北海道興農公社が入っているのです。つまり、わが国でペニシリンの大量生産が開始された時から酪農学園が製造販売に係っていたことになります。その後、ペニシリンの製造は北酪社に継承されました。1948年の日本ペニシリン協会会員工場実態録によれば、北酪社札幌製酪工場で半澤啓二氏の指導により月産3万単位バイアル10万本、10万単位バイアル6000本が製造されていたようです。会社の総従業員数が625名のところ、工場には80人が従事していたとの記載があります。その後、製造会社乱立によりペニシリン価格が暴落したことなどにより、1954年3月に協会を脱会していますので、実質8年間稼動していたことになります。

以上紹介したように、酪農学園に関連のある北海道興農公社は、わが国で最初の人体用抗菌薬であるペニシリンの製造に深く係っていたことになります。現在、治療用の抗菌薬に耐性を示す細菌が人のみならず動物にも蔓延しており、その制御が国際的にも進められています。酪農学園大学獣医学群食品衛生学ユニットでは、10数年前から精力的に耐性菌の調査・研究を実施し、その制御法を開発することを最終目標に教員、大学院生、ゼミ所属学生が心一つにして熱心に取り組んでいます。これらの耐性菌研究の源流が、今から72年前に大学の関連組織にあったことに唯ただ驚いています。抗菌薬を製造することは間違いなく耐性菌の蔓延に積極的に関与したことは疑いないことであり、耐性菌制御法を開発することは酪農学園大学に籍を置く我々の使命にも思えます。さらに、現在、耐性菌対策の基本的な考えであるOne Healthにしても、大学の創設者である黒澤酉蔵先生が80年以上前に唱えられた物質とエネルギーの生態系での循環を示している循環農法図そのものです。したがって、強い使命感をもって、今後も耐性菌研究に精進しなければならないと考える次第です。